庭園パラダイス

庭園、庭園なるもの

カテゴリ:はじめに > 庭園について

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京都にある典型的なの坪庭は、これまた日本の坪庭の特徴をうまくあらわしていると思う。


道路から土間を入って坪庭、奥に広い庭があり、坪庭には直射日光があたらず、光さす奥の庭との間に温度差がおきて自然対流がおきる。この吉田邸では、以前スペースの問題からこの坪庭を潰して部屋にしたら、風が通らなくなってしまい、もう一度坪庭にもどしたと説明を聞いた。風通しのだけではなく、直射日光のあたらないボワァとした光は不思議とこの小さなスペースを魅力的にみせる。そして光だけではなく、ここには配置や造形のなかにミクロコスモス的世界観があらわれている。

そこには、世界の構成物としての「地(砂利)、水(つくばい)、火(灯籠)、風、光」があり、一種ギリシャ哲学の世界のとらえ方と似ている。ユング派の箱庭療法との類似も感じる。坪庭という庭には民族のもっている世界観が凝縮して表れているのではないか。(画像は京都の町屋「吉田邸・無名舎」)

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建築家の原司さんが「ノーベル賞を取る人は盆地や谷間で育った人で、平野に育った人はとれない。私は平野育ち・・・」と言っている。本当かと思うが、地形と人間形成の話の入り口としては面白い話である。地形が人間の形成とか世界観形成に関わっているとするならば、当然、文化の表れとして庭園にも関わってくる。

庭園も盆地との関係は深い。文化人類学的に、「盆地」には、漁民・漂白の人々が川を上がってきて定住して、水田をつくり農作民に貧富の差が生まれてくる。そして富める層が支配層として山の辺に住み着くという構造がある。そして確かに、庭園はその山の辺から水田、盆地底方向をみて、失楽園で失った現世の楽土としてつくることが多い。

また、米山俊直(京都大学)さんの本、「小盆地宇宙と日本文化」では、小盆地宇宙の特徴を4つににまとめていて、これもとても興味深い。1、閉鎖的空間をつくっていて、独自の歴史と文化伝統をもちやすい。
2、地形的分類として、山地、丘陵、渓谷、盆地底とあり、それぞれの生活様式がある。
3、農耕開始に先立つ縄文文化があり、住み始めてからの歴史がある。
4、盆地底に情報拠点として城や城下町、市場をもち、その周辺に平坦な農村地帯をもち、外郭の丘陵部に棚田や畑地や樹園地をもち、背後に山林と分水領につながる山地をもった世界がある。

いろいろな解釈が存在して、文化と地形の話は膨らんでいく。盆地は小さなまとまった一つの世界を造りやすく。またその山の向こうにも別の世界を感じさせ、そのエッジがあるこることから、世界観の比較も生まれ、外の世界にも広がってゆくんじゃないかと思っている。原司さんが言いたかったのは、そのあたりのことだと思っている。

漢字「庭」とは、土主を祀り、公宮の儀礼を行う「廷」からきている。そこに建物の意味、广(げん)をのせてできている。(今は广のないところを庭と呼び、广のあるところを廷と呼んでいる。白川静『字統』より)

本来の庭とは違って、今「庭」とよぶのは、幹事の「園」にあたる。「園」とは一定の区画された土地で、果樹や草木のあるところである。『字統』によると園には園陵、園廟などの陵廟に関する語が多く、「その起源は墓地の植樹にあったかと思われる」と書いてある。いずれにして庭園は何かに囲まれていなければならない。

私たちは、突然、見知らぬ風景に投げ出されると不安になる。それは風景を自分の身につけた文化によって、「枠づける」ことができないからである。庭こそは、いかに囲むか、いかに枠づけるかの芸術である。 「庭園との対話」「庭園に死す」野田正彰より

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多くの専門家が論じている、いわゆる庭園史というものがある。

その中にはでてこないお庭、現在のランドスケープデザインなどもそうだが、そういったものの中に、庭園と呼
べないがとっても庭園なるものがある。

例えば写真の大宮第二公園の調整池、遺跡発掘現場のように2段階に法面状に地面を掘った所に、瓢箪型の池、
流水、石垣、樹木が配置されている。

これは庭園であり、世界観があらわれていて、パラダイス楽園になっている。そういった庭園なるものの好例を
探して、論じていくのが本ブログのテーマだったりもする。
(写真は大宮第二公園の調整池 埼玉県大宮市) 



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人はなぜ庭をつくるのか? 人類は失楽園で楽土をなくしてしまった。

人間は文明を作る、その途中で、かつての自然というパラダイス楽園をなくしてしまった「失楽園」だ。富めるものはその亡くなった楽園をつくろうと、庭、庭園をつくる。


大自然の中で生きている民族などには、庭園をつくらない、なぜならば大自然そのものがパラダイス楽園なのだから。
 

そもそも20世紀の都市計画の形は、何世紀が先立って庭園が造らていた。建築家バーナードチュミ・・・・そしてかならず、形に世界観が現れる。例えば日本の坪庭には使わない灯篭や蹲がある、これは世界の構成物は水である火であるといったギリシャ哲学と同じで、その要素を構成、形作ることが庭にはある・・・

(写真は、称名寺庭園:神奈川県横浜市金沢区)

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